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里仁第四 13 子曰能以禮讓爲國乎章

079(04-13)
子曰、能以禮讓爲國乎、何有。不能以禮讓爲國、如禮何。
いわく、れいじょうもっくにおさめんか、なにらん。れいじょうもっくにおさめずんば、れい如何いかんせん。
現代語訳
  • 先生 ――「折りあいよく国をおさめれば、わけはない。折りあいよくおさめられねば、儀式もムダだ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「礼儀正しくゆずり合う気持で国を治めるならば、何のむずかしいことがあろうか。国を治めるに礼譲を用いないならば、いったい何のための礼か。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「礼の道にかなった懇切さで国を治めるならば、なんの困難があろう。もし国を治めるのに、そうした懇切さを欠くなら、いったい礼制はなんのためのものか。国を治めるに」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 礼譲 … 礼儀を厚くして、へりくだった態度をとること。礼儀正しく、譲り合うこと。「譲」は、謙遜の意。
  • 為 … 「治」に同じ。
  • 何有 … 何の難しいことがあろうか。「何の難きことか之れ有らん」(何難之有)に同じ。
  • 如礼何 … 礼がいかに整っていても何の役にも立たない。「礼」は、制度。
補説
  • 『注疏』に「此の章は国を治むるとは、必ず礼譲をもちうるを言うなり」(此章言治國者、必須禮讓也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 能以礼譲為国乎、何有 … 『集解』の何晏の注に「何か有らんとは、之を難しとせざるを言うなり」(何有者、言不難之也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「為は、猶お治のごときなり。言うこころは人君能く礼譲を用いて以て国を治むれば、則ち国事に於いて難からず。故に云う、何か有らん、と。其の易きを言うなり。故に江熙曰く、范宣子譲る、其の下も皆之を譲る。人譲心をいだく、則ち国を治むること易きなり、と」(爲、猶治也。言人君能用禮讓以治國、則於國事不難。故云、何有。言其易也。故江熙曰、范宣子讓、其下皆讓之。人懷讓心、則治國易也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「為は、猶お治のごときなり。礼は民心を節し、譲は則ち争わず。言うこころは人君能く礼譲を以て教えと為し、其の国を治めんか。礼譲を以て国を治むるは、何ぞ其の難きこと有らんと謂う。難からざるを言うなり」(爲、猶治也。禮節民心、讓則不爭。言人君能以禮讓爲教、治其國乎。謂以禮讓治國、何有其難。言不難也)とある。また『集注』に「譲は、礼の実なり。何か有らんは、難からざるを言うなり」(讓者、禮之實也。何有、言不難也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 爲國乎 … 宮崎市定は「於」の字を補い、「於爲國乎」とし、「能く禮讓を以てすれば、國をおさむるに於いて、何かあらん」と訓読している(『論語の新研究』199頁)。「論語の中に、何かあらん、という言葉が出てくることは屢々であるが、その場合にはいつもという字を伴っているのである」と指摘している(同上、92頁)。
  • 不能以礼譲為国、如礼何 … 『集解』に引く包咸の注に「礼を如何せんとは、礼を用うる能わざるを言うなり」(如禮何者、言不能用禮也)とある。また『義疏』に「若し昏闇こんあんの君ならば、おさむるに礼譲を用いず。以て国を治むれば、則ち国を治むるの礼を如何せん。故に江熙曰く、礼譲を以てすること能わざれば、則ち下も争う心有り。錐刀すいとうの末、将に尽く之を争わんとすれば、唯だ利のみ是れうれう。何ぞ礼を言うにいとまあらんや、と」(若昏闇之君、不爲用禮讓。以治國、則如治國之禮何。故江熙曰、不能以禮讓、則下有爭心。錐刀之末、將盡爭之、唯利是恤。何遑言禮也)とある。また『注疏』に「人君礼譲を明らかにして以て民を治むること能わざるを言うなり。言うこころは礼有れども用うる能わざるは、此の礼を如何せん」(言人君不能明禮讓以治民也。言有禮而不能用、如此禮何)とある。また『集注』に「言うこころは礼の実有りて以て国を為むれば、則ち何の難きことか之れ有らん。然らずんば、則ち其の礼文具わると雖も、亦た且つ之を如何ともすること無し。而るを況んや国を為むるに於いてをや」(言有禮之實以爲國、則何難之有。不然、則其禮文雖具、亦且無如之何矣。而況於爲國乎)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ言うこころは礼譲を以て国をおさむれば、則ち人も亦た之に化す、何の為し難きことか之れ有らん。若し礼譲を以て国を為めざるは、則ち礼文具わると雖も、亦た且つ之を如何ともすること無し。況んや国を為むるに於いてをや。古えは専ら礼を以て、国を治むるの要典と為すは、猶お後世の律を用うるがごときなり」(此言以禮讓爲國、則人亦化之、何難爲之有。若不以禮讓爲國、則禮文雖具、亦且無如之何。況於治國乎。古者專以禮、爲治國之要典、猶後世之用律也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「朱註に、況んや国を為むるに於いてをや、と、非なり。礼は、先王国を治むるの具なり。言うこころは先王国を治めんが為の故に此の礼を設く、而るに今礼譲を以て国を為むること能わずんば、則ち先王の礼を以て何の用うる所とんか。是れ礼有りて而も之を用うること能わざるなり」(朱註、況於爲國乎、非矣。禮者、先王治國之具也。言先王爲治國故設此禮、而今不能以禮讓爲國、則以先王之禮爲何所用乎。是有禮而不能用之也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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