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公冶長第五 3 子貢問曰賜也何如章

095(05-03)
子貢問曰、賜也何如。子曰、女器也。曰、何器也。曰、瑚璉也。
こういていわく、何如いかんいわく、なんじなり。いわく、なんぞや。いわく、れんなり。
現代語訳
  • 子貢がたずねる、「わたくしは、いかが…。」先生 ――「きみは、うつわ物だ。」 ―― 「どんなうつわで…。」 ―― 「国宝級だ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がたれかれと門人たちの批評をされるので、子貢が「私はいかがでござりましょう。」と水を向けた。すると「お前は道具だ。」と言われたので、子貢いささか平らかならず、「何の道具でござりまする。」と押しかえしたら、「れんだよ。」とおっしゃった。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師が人物評をやっておられると、子貢がたずねた。
    「私はいかがでございましょう」
    先師がこたえられた。――
    「おまえは見事なうつわだね」
    子貢がかさねてたずねた。――
    「どんな器でございましょう」
    先師がこたえられた。――
    れんだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子貢 … 前520~前446。姓は端木たんぼく、名は。子貢はあざな。衛の人。孔子より三十一歳年少の門人。孔門十哲のひとり。弁舌・外交に優れていた。また、商才もあり、莫大な財産を残した。ウィキペディア【子貢】参照。
  • 賜 … 子貢の名。
  • 何如 … 「いかん」と読む。事実や状態を問うときに用いる。どうであるか。どんなか。「何奈いかん」「何若いかん」も同じ。
  • 女 … 「汝」に同じ。
  • 器 … うつわ。立派な働きのできる人物。一角ひとかどの人物。「為政12」参照。
  • 瑚璉 … 宗廟の祭りに、飯を盛って神前に供える器。ぎょくで飾られた貴重なもの。
補説
  • 『注疏』に「此の章は弟子の子貢の徳を明らかにするなり」(此章明弟子子貢之德也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子貢 … 『史記』仲尼弟子列伝に「端木賜は、衛人えいひとあざなは子貢、孔子よりわかきこと三十一歳。子貢、利口巧辞なり。孔子常に其の弁をしりぞく」(端木賜、衞人、字子貢、少孔子三十一歳。子貢利口巧辭。孔子常黜其辯)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「端木賜は、あざなは子貢、衛人。口才こうさい有りて名を著す」(端木賜、字子貢、衞人。有口才著名)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。
  • 賜也何如 … 『義疏』に「子貢孔子の諸弟子を歴評するを聞きて己に及ばず、己は独り区区として己分かつのみ、故に因りて何如と諮問するなり」(子貢聞孔子歴評諸弟子而不及己、己獨區區己分、故因諮問何如也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「子貢夫子の諸弟子を歴説するを見るに、己に及ばず、故に之に問いて曰く、賜や、己自ら其の行いの何如を知らず、と」(子貢見夫子歴説諸弟子、不及於己、故問之曰、賜也、己自不知其行何如也)とある。
  • 子曰、女器也 … 『集解』に引く孔安国の注に「言うこころは汝は是れ器用の人なり」(言汝是器用之人也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「孔子答えて曰く、汝は是れ器用の人なり、と」(孔子答曰、汝是器用之人也)とある。また『注疏』に「夫子之に答えて、なんじは器用の人なりと言うなり」(夫子答之、言女器用之人也)とある。また『集注』に「器とは、有用の成材なり」(器者、有用之成材)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 女 … 『義疏』では「汝」に作る。
  • 曰、何器也 … 『義疏』に「器に善悪有り。猶お未だ己の器を知らざるがごとくにして、何と云う。故にあらためて問うなり」(器有善惡。猶未知己器云何。故更問也)とある。また『注疏』に「子貢は夫子の己を器用の人と為すと言うを得たりと雖も、但だ器には善悪有れば、猶お未だ己の器を何と云うかを知らず、故に復た之を問うなり」(子貢雖得夫子言己爲器用之人、但器有善惡、猶未知己器云何、故復問之也)とある。
  • 曰、瑚璉也 … 『集解』に引く包咸の注に「瑚璉とは、しょしょくの器なり。に瑚と曰い、殷に璉と曰い、周に簠簋ほきと曰う。宗廟の器の貴き者なり」(瑚璉者、黍稷器也。夏曰瑚、殷曰璉、周曰簠簋。宗廟器之貴者也)とある。黍稷は、もちきびと、うるちきび。また『義疏』に「此れは器の善分有ることを答え定むるなり。瑚璉とは、宗廟の宝器にして、黍稷を盛る可きものなり。言うこころは汝は是れ器中の貴き者なり。或いは云う、君子は器ならず、と。器とは用必ず偏なり。瑚璉は貴しと雖も、而れども用を為すにあまねからず。亦た言う、汝は乃ち是れ貴器なるも、亦た用は偏なり、と。故に江熙云う、瑚璉は宗廟に置くときは則ち貴き器と為す、然れども民の用に周からざるなり。汝は言語の士なり、廊廟に束脩するときは則ち豪秀と為す、然れども未だ必ずしも能く煩務に幹たらざるなり。器の偏用なること、此れ其れ貴き者なり、猶お多しとするに足らざるがごとし、況んや其れ賤しき者をや。是を以て玉の碌碌たる、石の落落たるは、君子は皆欲せざるなり、と」(此答定器有善分也。瑚璉者、宗廟寶器、可盛黍稷也。言汝是器中之貴者也。或云、君子不器。器者用必偏。瑚璉雖貴、而爲用不周。亦言、汝乃是貴器、亦用偏也。故江熙云、瑚璉置宗廟則爲貴器、然不周於民用也。汝言語之士、束脩廊廟則爲豪秀、然未必能幹煩務也。器之偏用、此其貴者、猶不足多、況其賤者乎。是以玉之碌碌、石之落落、君子皆不欲也)とある。また『注疏』に「此れ夫子は又た為に其の定分ていぶんを指す。瑚璉は、しょしょくの器、宗廟の器の貴き者なり。なんじは是れ貴器なりと言うなり」(此夫子又爲指其定分。瑚璉、黍稷之器、宗廟之器貴者也。言女是貴器也)とある。また『集注』に「夏に瑚と曰い、商に璉と曰い、周に簠簋と曰う。皆宗廟に黍稷を盛るの器にして、飾るに玉を以てす。器の貴重にして華美なる者なり」(夏曰瑚、商曰璉、周曰簠簋。皆宗廟盛黍稷之器、而飾以玉。器之貴重而華美者也)とある。
  • 『集注』に「子貢、孔子の君子を以て子賤を許すを見る。故に己を以て問いを為す。而して孔子之に告ぐるに此を以てす。然らば則ち子貢未だ器ならざるに至らずと雖も、其れ亦た器の貴き者ならんか」(子貢見孔子以君子許子賤。故以己爲問。而孔子告之以此。然則子貢雖未至於不器、其亦器之貴者歟)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「瑚璉・簠簋ほきは、器の貴重にして常に用いる可からざる者なり。らいとうは、貴重の器に非ずと雖も、而も常に用いてく可からざる者なり。夫子子貢の才を以て、之を彼に比せずして、之を此に比す。其の之を戒むること深し」(瑚璉簠簋、器之貴重而不可常用者也。耒耜陶冶、雖非貴重之器、而常用不可闕者也。夫子以子貢之才、不比之於彼、而比之於此。其戒之深矣)とある。耒耜は、すき。陶冶は、陶器や金属製の器。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「明堂位(『礼記』)に云う、有虞氏のりょうたい、夏后氏の四璉、殷のりく、周の八。……皆云う、夏に瑚と曰う、と。……然れども明堂位は古なり。……仁斎先生曰く、器の貴重にして常に用うるに非ざる者、と。因って謂えらく孔子これを耒耜陶冶の常の用うる者に比せざるは、以て子貢を戒むること深きなり、と。……仁斎は務めて奇を出ださんと欲し、而うして其の道にそむくこと遠きを知らず」(明堂位云、有虞氏之兩敦、夏后氏之四璉、殷之六瑚、周之八簋。……皆云夏曰瑚。……然明堂位古矣。……仁齋先生曰、器之貴重而非常用者。因謂孔子不比諸耒耜陶冶常用者、以戒子貢深也。……仁齋務欲出奇、而不知其畔道遠矣)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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