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先進第十一 11 季路問事鬼神章

264(11-11)
季路問事鬼神。子曰、未能事人、焉能事鬼。曰、敢問死。曰、未知生、焉知死。
季路きろしんつかうることをう。いわく、いまひとつかうることあたわず、いずくんぞつかえん。いわく、えてう。いわく、いませいらず、いずくんぞらん。
現代語訳
  • 子路がみたまの祭りかたをきく。先生 ――「人につかえられなくて、みたまが祭れるものか。」では死人はときく。先生 ――「生きた人を知らずに、死人がわかるものか。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 子路しろが、神霊につかえるにはどうしたらよろしきや、と質問したので、孔子様が、「まだ人に事えることもできないで、どうして神霊に事えることができようぞ。」と答えられた。するは子路がさらにしかえしておたずねした。「それでは死とは何でありますか。」孔子様がおっしゃるよう、「まだ生を知らないで、どうして死を知り得ようぞ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 季路が鬼神に仕える道を先師にたずねた。先師がこたえられた。――
    「まだ人に仕える道もわからないで、どうして鬼神に仕える道がわかろう」
    季路がかさねてたずねた。――
    「では、死とはなんでありましょうか」
    すると先師がこたえられた。――
    「まだ生がなんであるかわからないのに、どうして死がなんであるかがわかろう」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 季路 … 前542~前480。姓はちゅう、名はゆうあざなは子路、または季路。魯のべんの人。孔門十哲のひとり。孔子より九歳年下。門人中最年長者。政治的才能があり、また正義感が強く武勇にも優れていた。ちなみに「季」は兄弟の一番末っ子。兄弟を年齢の上の者から順に、伯(孟)・仲・叔・季で表す。ウィキペディア【子路】参照。
  • 事 … 仕える。奉仕する。
  • 鬼神 … 祖先の霊魂。神々。
  • 未 … 再読文字。「いまだ…(せ)ず」と読む。否定の意を示す。「まだ~しない」と訳す。
  • 焉 … 「いずくんぞ~ん(や)」と読む。「どうして~であろうか、いや~でない」と訳す。反語の形。
  • 鬼 … 「鬼神」に同じ。神々。
  • 敢問 … 失礼ながらお尋ねします。
  • 死 … 「死の意味」「人間の死後」「死にかた」「死に処する態度」など、諸説ある。
  • 生 … 「生きることの意味」「生きかた」など。
  • 焉知 … どうしてわかろうか、わかるはずがない。
補説
  • 『注疏』に「此の章は孔子の無益の語をわざるを明らかにするなり」(此章明孔子不道無益之語也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 季路 … 『孔子家語』七十二弟子解に「仲由は卞人べんひと、字は子路。いつの字は季路。孔子よりわかきこと九歳。勇力ゆうりき才芸有り。政事を以て名を著す。人と為り果烈にして剛直。性、にして変通に達せず。衛に仕えて大夫と為る。蒯聵かいがいと其の子ちょうと国を争うに遇う。子路遂に輒の難に死す。孔子之を痛む。曰く、吾、由有りてより、悪言耳に入らず、と」(仲由卞人、字子路。一字季路。少孔子九歳。有勇力才藝。以政事著名。爲人果烈而剛直。性鄙而不達於變通。仕衞爲大夫。遇蒯聵與其子輒爭國。子路遂死輒難。孔子痛之。曰、自吾有由、而惡言不入於耳)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「仲由、字は子路、べんの人なり。孔子よりもわかきこと九歳。子路性いやしく、勇力を好み、志こうちょくにして、雄鶏を冠し、とんび、孔子を陵暴す。孔子、礼を設け、ようやく子路をいざなう。子路、後に儒服してし、門人に因りて弟子たるを請う」(仲由字子路、卞人也。少孔子九歳。子路性鄙、好勇力、志伉直、冠雄鷄、佩豭豚、陵暴孔子。孔子設禮、稍誘子路。子路後儒服委質、因門人請爲弟子)とある。伉直は、心が強くて素直なこと。豭豚は、オスの豚の皮を剣の飾りにしたもの。委質は、はじめて仕官すること。ここでは孔子に弟子入りすること。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 季路問事鬼神 … 『義疏』に「外教に三世の義無きこと、此の句に見るなり。周・孔の教えは唯だ現在を説くのみ。過去・未来を明らかにせず。而るに子路此に鬼神に事うるを問う。政に鬼神は幽冥の中に在りと言う。其の法は云何いかんぞや。此れは是れ過去を問うなり」(外敎無三世之義、見乎此句也。周孔之敎唯説現在。不明過去未來。而子路此問事鬼神。政言鬼神在幽冥之中。其法云何也。此是問過去也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「対すれば則ち天を神と曰い、人を鬼と曰う。散ずれば則ち人と雖も亦た神と曰う。故に下文は独り鬼を以て之に答うるのみ。子路鬼神に承事するに、其の理の何如を問う」(對則天曰神、人曰鬼。散則雖人亦曰神。故下文獨以鬼答之。子路問承事鬼神其理何如)とある。
  • 子曰、未能事人、焉能事鬼 … 『義疏』に「孔子人事の易きを言う。汝尚お未だ能くせざれば、則ち何ぞ敢えて幽冥の中を問わんや。故に云う、焉んぞ能く鬼に事えん、と」(孔子言人事易。汝尚未能、則何敢問幽冥之中乎。故云、焉能事鬼也)とある。また『注疏』に「言うこころは生人にすら尚お未だ之に事うること能わざるに、況んや死者の鬼神、安くんぞ能く之に事えんや」(言生人尚未能事之、況死者之鬼神、安能事之乎)とある。
  • 曰、敢問死 … 『義疏』に「此れは又た当来の事を問うなり。言うこころは今日より以後死の事を問う、復た云何いかん」(此又問當來之事也。言問今日以後死事、復云何也)とある。また『注疏』に「子路又た曰く、敢えて問う、人の死のごとき、其の事は何如、と」(子路又曰、敢問人之若死、其事何如)とある。
  • 曰、未知生、焉知死 … 『集解』に引く陳群の注に「鬼神と死の事は明らかにし難く、之を語りても益無し。故に答えざるなり」(鬼神及死事難明、語之無益。故不答也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「亦た之に答えざるなり。言うこころは汝尚お未だ知らず、即ち生を見るの事は明らかにし難し。焉んぞ能くあらかじめ死後を知らんことを問わんや」(亦不答之也。言汝尚未知、即見生之事難明。焉能豫問知死後也)とある。また『注疏』に「孔子の言うこころはなんじは尚お未だ生時の事を知らざれば、則ち安くんぞ死後を知らんや。皆子路を抑止する所以なり。鬼神及び死の事は明らかにし難く、又た之を語るも益無きを以て、故に答えざるなり」(孔子言女尚未知生時之事、則安知死後乎。皆所以抑止子路也。以鬼神及死事難明、又語之無益、故不答也)とある。
  • 『集注』に「鬼神に事うを問うは、蓋し祭祀に奉ずる所以の意を求むるなり。而して死は人の必ず有る所にて、知らずんばある可からず。皆切問なり。然れども誠敬以て人に事うるに足るに非ざれば、則ち必ず神に事うること能わず。始めをたずねて生ずる所以を知るに非ざれば、則ち必ず終わりにかえりて死する所以を知ること能わず。蓋し幽明、始終、初めより二理無し。但だ之を学ぶに序有り、等をゆ可からず。故に夫子之を告ぐること此くの如し」(問事鬼神、蓋求所以奉祭祀之意。而死者人之所必有、不可不知。皆切問也。然非誠敬足以事人、則必不能事神。非原始而知所以生、則必不能反終而知所以死。蓋幽明、始終、初無二理。但學之有序、不可躐等。故夫子告之如此)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『集注』に引く程頤の注に「昼夜とは、死生の道なり。生の道を知れば、則ち死の道を知り、人に事うるの道を尽くせば、則ち鬼に事うるの道を尽くす。死生、人鬼、一にして二、二にして一なる者なり。或ひと言う、夫子、子路に告げず、と。此れ乃ち深く之に告ぐる所以なるを知らざるなり、と」(晝夜者、死生之道也。知生之道、則知死之道、盡事人之道、則盡事鬼之道。死生、人鬼、一而二、二而一者也。或言、夫子不告子路。不知此乃所以深告之也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「論に曰く、夫子鬼神の理に於いて、未だ嘗て明らかに説かず。樊遅子路に答うるに及びて、ぼ其の意をあらわす。而して死生の説に於いては、終に未だ嘗て之れ言わず。蓋し之を言わざるに非ず、もと教えを為す所以に非ず。故に言わざるなり。此れ夫子の群聖に度越して、万世生民の宗師たる所以なり。記礼の書、屢〻しばしば夫子鬼神を論ずるの言を載す。繫詞に又た曰く、始めをたずねて終わりにかえる、故に死生の説を知る、と。皆聖人の言に非ざることを知る可きなり」(論曰、夫子於鬼神之理、未嘗明説。及乎答樊遲子路、略露其意。而於死生之説、終未嘗之言。蓋非不言之、本非所以爲教。故不言也。此夫子之所以度越群聖、而爲萬世生民之宗師也。記禮之書、屢載夫子論鬼神之言。繫詞又曰、原始反終、故知死生之説。可知皆非聖人之言也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「鬼神に事うるの道、孔子何ぞ嘗て言わざらん。嘗て曰く、生くるときは之に事うるに礼を以てし、死するときは之を葬るに礼を以てし、之を祭るに礼を以てす、と。是なり。子路が鬼神に事うるを問うに至りて、孔子告げざる所以の者は、蓋し子路の心鬼神を知るに在り。故に曰く、未だ人に事うること能わず、焉んぞ能く鬼に事えん、と。之を抑うる所以なり。子路果たして死を問う。孔子曰く、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん、と。蓋し死なる者は言う可からざる者なり。夫れ人の知は、至れる有り、至らざる有り。孔子未だ死せず、子路未だ死せず。叚使たとい孔子之を言うも、子路をして信ぜむること能わず、子路も亦た信ずること能わず。是れ無益の事なり。故に孔子言わず。然れども人の知は、至れる有り、至らざる有り。じつ宰我之を問えば、則ち之を言う。易の大伝に又た曰く、始めをたずね終わりにかえる、故に死生の説を知る。精気物と為り、遊魂変を為す。是の故に鬼神の情状を知る、と。且つ聖人鬼神を知らず、死を知らずんば、則ちいずくんぞ能く制作せん。故に曰く、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん、と。言うこころは生を知らば則ち知至ると。宋儒紛紛ふんぷんとして理を以て之を明らかにせんと欲し、其の説終に無鬼に帰す。務めて口舌をぐるの失なり。仁斎が輩は又た此れに因りて繫辞を疑い、三代の聖人をそしる。妄なりと謂わざる可けんや。且つ其の言に曰く、鬼神は教えと為す所以に非ざるなり、と。夫れ聖人は神道を以て教えを設く。鬼神は豈に教えを為す所以に非ざらんや。蓋し其の人も亦た口舌をぐるを以て教えと為す。故に此の言有り。陋なるかな」(事鬼神之道、孔子何嘗不言。嘗曰、生事之以禮、死葬之以禮、祭之以禮。是也。至於子路問事鬼神、孔子所以不告者、蓋子路之心在知鬼神。故曰、未能事人、焉能事鬼。所以抑之也。子路果問死。孔子曰、未知生、焉知死。蓋死者不可言者也。夫人之知、有至焉、有不至焉。孔子未死、子路未死。叚使孔子言之、不能俾子路信、子路亦不能信。是無益之事也。故孔子不言焉。然人之知、有至焉、有不至焉。它日宰我問之、則言之。易大傳又曰、原始反終、故知死生之説。精氣爲物、遊魂爲變。是故知鬼神之情狀。且聖人不知鬼神、不知死、則安能制作。故曰、未知生、焉知死。言知生則知至焉。宋儒紛紛欲以理明之、其説終歸無鬼矣。務騰口舌之失也。仁齋輩又因此而疑繫辭、詆三代聖人。可不謂妄乎。且其言曰、鬼神非所以爲教也。夫聖人以神道設教。鬼神豈非所以爲教乎。蓋其人亦以騰口舌爲教。故有此言。陋矣哉)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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