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顔淵第十二 23 子貢問友章

301(12-23)
子貢問友。子曰、忠告而善道之、不可則止。毋自辱焉。
こうともう。いわく、ちゅうこくしてこれ善道ぜんどうし、不可ふかなればすなわむ。みずかはずかしめらるることかれ。
現代語訳
  • 子貢が友だちがいについてきく。先生 ――「心からいさめみちびいてやるが、きかなければ一時やめる。こちらの立場をなくするな。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 子貢が友人に交わる道をおたずねした。孔子様がおっしゃるよう、「まごころをもってその過ちを告げ親切にこれを善い方へ導くのが、友達づきあいの道だが、どうしてもその忠告を受けいれてもらえぬときは、一応手を引いて様子を見るがよい。あまりしつこくして、こちらの面目めんぼくまでつぶさぬようにしなさい。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子貢が交友の道をたずねた。先師はこたえられた。――
    「真心こめて忠告しあい、善導しあうのが友人の道だ。しかし、忠告善導が駄目だったら、やめるがいい。無理をして自分を辱しめるような破目はめになってはならない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子貢 … 前520~前446。姓は端木たんぼく、名は。子貢はあざな。衛の人。孔子より三十一歳年少の門人。孔門十哲のひとり。弁舌・外交に優れていた。また、商才もあり、莫大な財産を残した。ウィキペディア【子貢】参照。
  • 友 … ここでは、友人と交わる道。交友のあり方。
  • 忠告 … まごころを尽くして諫めること。
  • 善道 … よい方に教え導くこと。「善導」に同じ。
  • 不可 … うまくいかない場合は。聞き入れられなければ。
  • 止 … やめる。
  • 自辱 … 自分の立場をなくす。恥をかかされる。
補説
  • 『注疏』に「此の章は友を論ずるなり」(此章、論友也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子貢問友 … 『義疏』に「朋友を求むるの道を諮るなり」(諮求朋友之道也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子貢 … 『史記』仲尼弟子列伝に「端木賜は、衛人えいひとあざなは子貢、孔子よりわかきこと三十一歳。子貢、利口巧辞なり。孔子常に其の弁をしりぞく」(端木賜、衞人、字子貢、少孔子三十一歳。子貢利口巧辭。孔子常黜其辯)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「端木賜は、あざなは子貢、衛人。口才こうさい有りて名を著す」(端木賜、字子貢、衞人。有口才著名)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。
  • 子曰、忠告而善道之 … 『義疏』に「朋友は切磋を主とす。若し不善有るを見ゆれば、当に己の忠心を尽くして之に告語すべし。又た善事を以て更に相誘導するなり」(朋友主切磋。若見有不善、當盡己忠心告語之。又以善事更相誘導也)とある。
  • 忠告而善道之 … 『義疏』では「忠告而以善導之」に作る。
  • 不可則止。毋自辱焉 … 『集解』に引く包咸の注に「忠告は、是非を以て之に告ぐるなり。善を以て之を導き、従われざれば則ち止む。必ず之に言えば、或いは辱めらるるなり」(忠告、以是非告之也。以善導之、不見從則止。必言之、或見辱也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「否は、彼従われざるを謂うなり。若し彼苟くも従われずんば、則ち止めて重ねては告げざらしむるなり。若し重ねて告げて止まざれば、則ち彼まさに反って罵辱せらるべし。故に云う、自ら辱めらるること無かれ、と」(否、謂彼不見從也。若彼苟不見從、則使止而不重告也。若重告不止、則彼容反見罵辱。故云、無自辱焉)とある。
  • 不可則止 … 『義疏』では「否則止」に作る。
  • 不可 … 宮崎市定は「かざれば」と読んでいる(『論語の新研究』)。
  • 毋自辱焉 … 『義疏』では「無自辱焉」に作る。
  • 『注疏』に「言うこころは其の忠を尽くし是非を以て之に告げ、又た善道を以て之を導く。若し己に従わずんば、則ち止めて告げず導かざるなり。強いて告げて之を導き、以て自ら困辱を取るを得る毋かれ。其の必ず之を言うを以て、或いは時に辱めらる」(言盡其忠以是非告之、又以善道導之。若不從己、則止而不告不導也。毋得強告導之、以自取困辱焉。以其必言之、或時見辱)とある。
  • 『集注』に「友は、仁をたすくる所以なり。故に其の心を尽くし以て之に告げ、其の説を善くし以て之をみちびく。然れども義を以て合する者なり。故に不可なれば則ち止む。若し以て数〻しばしばにして疏んぜらるれば、則ち自ら辱めらるるなり」(友、所以輔仁。故盡其心以告之、善其説以道之。然以義合者也。故不可則止。若以數而見疏、則自辱矣)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ言うこころは交友の道、能く其の心を尽くして之に告げ、又た其の説を善くして、以て之をみちびくに在り。然れども其の人ならざれば、則ち暫く止めて言わず、亦た其の自ら悟るをつ。若し数〻しばしばにして節無ければ、則ち返りて嫌厭けんえんを致す。自ら辱めを取ること勿くして可なり」(此言交友之道、在於能盡其心而告之、又善其説、以道之。然其人不可、則暫止不言、亦俟其自悟。若數而無節、則返致嫌厭。勿自取辱可也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「仁斎先生曰く、其の人かざるときは、則ち暫く止めて言わず、其の自ら悟るを俟つ、と。味い有るかな其の之を言うこと。人多く以為おもえらく交わりここに於いて絶つ可しと。小人なるかな」(仁齋先生曰、其人不可、則暫止不言、俟其自悟。有味乎其言之矣。人多以爲交於是乎可絶矣。小人哉)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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