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子路第十三 1 子路問政章

303(13-01)
子路問政。子曰、先之、勞之。請益。曰、無倦。
子路しろまつりごとう。いわく、これさきんじ、これねぎらう。さんことをう。いわく、むことかれ。
現代語訳
  • 子路が政治のことをきく。先生 ――「先に立って、はげますことだ。」なおもたずねる。先生 ――「あきないことだ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 子路が政治のやり方をおたずねしたら、孔子様が、「人民を働かせようとするならば、まず自身先立ちになって働け。人民が働いたならば、これをろうせよ。」と言われた。「もっとお願いします。」と言ったら、「あきてはいけない。」とおっしゃった。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子路が政治についてたずねた。先師がこたえられた。――
    「人民の先に立ち、人民のために骨折るがいい」
    子路は物足りない気がして、いった。
    「もう少しお話をお願いいたします」
    すると先師はいわれた。――
    「あきないでやることだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子路 … 前542~前480。姓はちゅう、名は由。あざなは子路、または季路。魯のべんの人。孔門十哲のひとり。孔子より九歳年下。門人中最年長者。政治的才能があり、また正義感が強く武勇にも優れていた。ウィキペディア【子路】参照。
  • 問政 … 政治の要諦をたずねた。
  • 先之 … 人民に率先する。「之」は、人民を指す。
  • 労之 … 人民をいたわり、ねぎらう。「之」は、人民を指す。
  • 請益 … もう少し付け加えてお話し下さい。「請」は、「~して下さい」の意。「益」は、増し加えること。
  • 無倦 … 飽きてはならない。「倦」は、物事に飽きて、嫌になること。「無」は、「毋」「勿」「莫」と同じく、「なかれ」と読み、「~するな」と訳す。禁止の意を示す。
補説
  • 子路第十三 … 『集解』に「凡そ卅章」(凡卅章)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「子路は孔子の弟子なり。武、三千の標たる者なり。前に次ぐ所以の者は、武は文より劣ればなり。故に子路は顔淵に次ぐなり」(子路孔子弟子也。武爲三千之標者也。所以次前者、武劣於文。故子路次顏淵也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「此の篇は善人君子邦をおさめ民に教え、仁政・孝弟、中行の常徳を論ず。皆国を治め身を修むるの要にして、大意は前篇と相類す。且つ回や室に入り、由や堂に升る。故に以て次と為すなり」(此篇論善人君子爲邦教民、仁政孝弟、中行常德。皆治國脩身之要、大意與前篇相類。且回也入室、由也升堂。故以爲次也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「凡そ三十章」(凡三十章)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『注疏』に「此の章は政は徳沢を先にするを言うなり」(此章言政先德澤也)とある。
  • 子路 … 『孔子家語』七十二弟子解に「仲由は卞人べんひと、字は子路。いつの字は季路。孔子よりわかきこと九歳。勇力ゆうりき才芸有り。政事を以て名を著す。人と為り果烈にして剛直。性、にして変通に達せず。衛に仕えて大夫と為る。蒯聵かいがいと其の子ちょうと国を争うに遇う。子路遂に輒の難に死す。孔子之を痛む。曰く、吾、由有りてより、悪言耳に入らず、と」(仲由卞人、字子路。一字季路。少孔子九歳。有勇力才藝。以政事著名。爲人果烈而剛直。性鄙而不達於變通。仕衞爲大夫。遇蒯聵與其子輒爭國。子路遂死輒難。孔子痛之。曰、自吾有由、而惡言不入於耳)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「仲由、字は子路、べんの人なり。孔子よりもわかきこと九歳。子路性いやしく、勇力を好み、志こうちょくにして、雄鶏を冠し、とんび、孔子を陵暴す。孔子、礼を設け、ようやく子路をいざなう。子路、後に儒服してし、門人に因りて弟子たるを請う」(仲由字子路、卞人也。少孔子九歳。子路性鄙、好勇力、志伉直、冠雄鷄、佩豭豚、陵暴孔子。孔子設禮、稍誘子路。子路後儒服委質、因門人請爲弟子)とある。伉直は、心が強くて素直なこと。豭豚は、オスの豚の皮を剣の飾りにしたもの。委質は、はじめて仕官すること。ここでは孔子に弟子入りすること。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 問政 … 『義疏』に「政を為すの法を問うなり」(問爲政之法也)とある。
  • 先之、労之 … 『集解』に引く孔安国の注に「之を先導するに徳を以てし、民をして之を信ぜしめ、然る後に之を労するなり。易に曰く、悦ばしめて以て民を使えば、民其の労を忘るるなり、と」(先導之以德、使民信之、然後勞之也。易曰、悦以使民、民忘其勞也)とある。また『義疏』に「答うるなり。之に先んずは、先ず徳信を行いて民に及ぼすを謂うなり。之を労すは、労役せしむるを謂うなり。為政の法は、先ず徳沢を行いて、然る後に乃ち労役す可きなり」(答也。先之、謂先行德信及於民也。勞之、謂使勞役也。爲政之法、先行德澤、然後乃可勞役也)とある。また『注疏』に「言うこころは徳政を為すは、之を先導するに徳を以てし、民をして之を信ぜしめ、然る後に政役の事を以て之を労す可くんば、則ち民は其の令に従うなり」(言爲德政者、先導之以德、使民信之、然後可以政役之事勞之、則民從其令也)とある。また『集注』に引く蘇軾の注に「凡そ民の行、身を以て之に先んずれば、則ち令せずして行わる。凡そ民の事、身を以て之に労すれば、則ち勤むと雖も怨まれず」(凡民之行、以身先之、則不令而行。凡民之事、以身勞之、則雖勤不怨)とある。
  • 請益 … 『集解』に引く孔安国の注に「子路其の少なきを嫌い、故に益さんことを請う」(子路嫌其少、故請益)とある。また『義疏』に「子路は為政の法の少なきを嫌う。故に孔子に就いて、更に益さんことを求め請うなり」(子路嫌爲政之法少。故就孔子、更求請益也)とある。また『注疏』に「子路其の少なきを嫌う。故に更に之を益さんことを請う」(子路嫌其少。故更請益之)とある。
  • 曰、無倦 … 『集解』に引く孔安国の注に「倦むこと無かれと曰うは、此の上の事を行いて、倦むこと無ければ則ち可なり」(曰無倦者、行此上事、無倦則可也)とある。また『義疏』に「孔子答えて云う、但だ之に先んじ之を労すの二事を行いて懈倦かいけん有ること無ければ、則ち自ら足れりと為すなり」(孔子答云、但行先之勞之二事無有懈倦、則自爲足也)とある。また『注疏』に「夫子言う、此の上の事を行い、倦怠すること無ければ則ち可なり、と」(夫子言、行此上事無倦怠則可也)とある。また『集注』に引く呉棫の注に「勇者は為す有るを喜ぶも、持すること久しき能わず。故に此を以て之に告ぐ」(勇者喜於有爲、而不能持久。故以此告之)とある。
  • 『集注』に引く程顥の注に「子路政を問い、孔子既に之に告ぐ。益さんことを請うに及べば、則ち倦むこと無かれと曰うのみ。未だ嘗て復た告ぐ所有らざるは、しばらく之をして深思せしむるなり」(子路問政、孔子既告之矣。及請益、則曰無倦而已。未嘗復有所告、姑使之深思也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「夫子の言の若きは、ちかくして且つ易しと謂う可し。然れども勤めて倦まざれば、則ち治必ず定まり、功必ず成る。其の要は唯だ煩に堪え久を積み、近効を求めざるに在り」(若夫子之言、可謂邇且易也。然勤而不倦焉、則治必定、功必成矣。其要唯在堪煩積久、不求近效)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「其の人政に従えるにあたりて其の当に務むべき所を問うなり。故に孔子之に答うるも、亦たひろく政に従うの道を言うに非ざるなり。皆其の人其の時及び其の治むる所のに随って各〻ことなり。故に読む者当に其の文義に拠りて以て孔子の之に答うる所以の意を観るべくしてなり。……蓋し子路は義に勇なり。身を以て之に先んじ、身を以て之を労するが如きは、皆其の素より能くする所なれば、則ち孔子未だ必ずしも此れを以て之に告げざるなり。大氐たいてい義に勇なるの人は、己を以て民を、必ず政を発するにぜんを以てせずして、にわかに其の己に従わんことを責むる者有り。故に之に先にすと曰う。又た必ず義を以て民を責めて其の労苦をあわれまざる者有り。故に之をねぎらうと曰う。倦むこと無しと云う者も、亦た先にし労うに従事して倦まざるを謂うに非ざるなり。亦た子張に之に居て倦むこと無しと答うるが如し」(其人方從政而問其所當務也。故孔子答之、亦非泛言從政之道也。皆隨其人其時及其所治之土各殊焉。故讀者當據其文義以觀孔子所以答之之意可也。……蓋子路勇於義。如以身先之、以身勞之、皆其所素能、則孔子未必以此告之也。大氐勇於義之人、以己視民、必有發政不以漸、而遽責其從己者。故曰先之。又必有以義責民而不恤其勞苦者。故曰勞之。無倦云者、亦非謂從事先勞而不倦也。亦如答子張居之無倦焉)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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