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憲問第十四 8 子曰愛之能勿勞乎章

340(14-08)
子曰、愛之、能勿勞乎。忠焉、能勿誨乎。
いわく、これあいしては、ろうすることからんや。これちゅうならば、おしうることからんや。
現代語訳
  • 先生 ――「愛する人を、きたえないでいられようか。まごころがあれば、みちびかないでいられようか。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「人を愛する以上、これに苦労をさせてその人物をきたえないでよかろうか。人に忠実である以上、これを教訓し忠告善導しないでよかろうか。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「人を愛するからには、その人を鍛えないでいられようか。人に忠実であるからには、その人を善導しないでいられようか」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 能勿労乎 … 苦労させずにいられようか。
  • 焉 … 代名詞。その人を指す。また、読まない訓読もある。
  • 忠 … 忠実である。まごころを尽くす。誠意をもって接する。
  • 能勿誨乎 … 教誨せずにいられようか。「誨」は、教え諭す。
補説
  • 『注疏』に「此の章は忠・愛の心を論ずるなり」(此章論忠愛之心也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子曰、愛之、能勿労乎 … 『集解』に引く孔安国の注に「言うこころは人愛する所有れば、必ず之を労来せんと欲す」(言人有所愛、必欲勞來之)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「愛は、慕なり。凡そ人志心に在る有りて、形を外に見わすなり。既に心に此の人を愛慕する有れば、学問の道労頼すること無くんばあらざるの辞なり」(愛、慕也。凡人有志在心、見形於外也。既有心愛慕此人、學問之道不無勞賴之辭也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「言うこころは人愛する所有れば、必ず之を労来せんと欲す」(言人有所愛、必欲勞來之)とある。また『集注』引く蘇軾の注に「愛して労すること勿きは、禽犢きんとくの愛なり。忠にしておしうる勿きは、婦寺の忠なり。愛して之を労することを知れば、則ち其の愛たるや深し。忠にして之をおしうることを知れば、則ち其の忠たるや大なり」(愛而勿勞、禽犢之愛也。忠而勿誨、婦寺之忠也。愛而知勞之、則其爲愛也深矣。忠而知誨之、則其爲忠也大矣)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 忠焉、能勿誨乎 … 『集解』に引く孔安国の注に「忠する所有れば、必ず之に教誨せんと欲す」(有所忠、必欲教誨之)とある。また『義疏』に「忠とは、中心を尽くすなり。誨は、教うるなり。人中心を尽くして来たる者有れば、教誨すること無くんばあらざるの辞なり」(忠者、盡中心也。誨、教也。有人盡中心來者、不無教誨之辭也)とある。また『注疏』に「忠する所有れば、必ず之を教誨せんと欲するなり」(有所忠、必欲教誨之也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「真愛は能く労せしむ。真忠は能くおしう。愛して労せしむること勿ければ、則ち不慈たり。忠にして誨うること勿ければ、則ち不忠たり。然らば則ち父兄の子弟に於ける、臣の君に事うる、朋友の相交わる、自ら其の心を尽くさざる可けんや」(眞愛能勞。眞忠能誨。愛矣而勿勞、則爲不慈。忠矣而勿誨、則爲不忠。然則父兄之於子弟、臣之事君、朋友之相交、可不自盡其心乎)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』には、この章の注なし。
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