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衛霊公第十五 2 子曰賜也章

381(15-02)
子曰、賜也、女以予爲多學而識之者與。對曰、然。非與。曰、非也。予一以貫之。
いわく、や、なんじわれもっおおまなびてこれものすか。こたえていわく、しかり。なるか。いわく、なり。われいつもっこれつらぬく。
現代語訳
  • 先生 ――「賜くん、きみはわしを勉強家の物知りだと思ってるのか。」答え ――「ええ。ちがいますか。」――「ちがうなあ。わしは知識にすじをとおしている。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がこうに向かって、「よ。お前はわしを博学な物知りと思うか。」と言われた。子貢が、「もちろんさようでござります。そうではないのでござりますか。」と言った。孔子様がおっしゃるよう、「そうではない。わしはじんの一事をもって万事を貫いているのみぞ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    よ、お前は私を博学多識な人だと思っているのか」
    子貢がこたえた。――
    「むろん、さようでございます。ちがっていましょうか」
    先師――
    「ちがっている。私はただ一つのことで貫いているのだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 賜 … 子貢の名。姓は端木たんぼく。子貢はあざな。衛の人。孔子より三十一歳年少の門人。孔門十哲のひとり。弁舌・外交に優れていた。また、商才もあり、莫大な財産を残した。ウィキペディア【子貢】参照。
  • 也 … 「や」と読み、「~よ」と訳す。呼びかけの意を示す。
  • 女 … 「汝」に同じ。
  • 多学 … 博学。
  • 識之 … これを記憶する。
  • 然。非与 … その通りだと思います。違いますか。
  • 非也 … そうではない。
  • 一以貫之 … 私はただ一つのもの(仁)ですべてを貫いているのだ。「之」は、「一」を強めるための語助の辞。故事名言【一以て之を貫く】参照。
補説
  • 『注疏』に「此の章は善道に統有るを言うなり」(此章言善道有統也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 賜(子貢) … 『史記』仲尼弟子列伝に「端木賜は、衛人えいひとあざなは子貢、孔子よりわかきこと三十一歳。子貢、利口巧辞なり。孔子常に其の弁をしりぞく」(端木賜、衞人、字子貢、少孔子三十一歳。子貢利口巧辭。孔子常黜其辯)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「端木賜は、あざなは子貢、衛人。口才こうさい有りて名を著す」(端木賜、字子貢、衞人。有口才著名)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。
  • 女以予為多学而識之者与 … 『義疏』に「時人孔子多く学んで識るを見、並びに孔子多く世事を学んで之を識ると謂う。故に孔子子貢に問いて之をくなり」(時人見孔子多學識、竝謂孔子多學世事而識之。故孔子問子貢而釋之也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「孔子子貢に問う、女の意は我を以て其の学び問うことを多くして之を記識する者と為せるか、と。与は、語辞なり」(孔子問子貢、女意以我爲多其學問記識之者與。與、語辭)とある。また『集注』に「子貢の学は、多くして能く識る。夫子其の本づく所を知らしめんと欲するなり。故に問いて以て之を発す」(子貢之學、多而能識矣。夫子欲其知所本也。故問以發之)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 女 … 『義疏』では「汝」に作る。
  • 対曰、然。非与 … 『集解』に引く孔安国の注に「然りは、多く学んで之を識るを謂うなり」(然、謂多學而識之也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「然りは、此くの如きなり。子貢答えて云う、賜も亦た孔子多く学ぶ、故に此くの如く多く之を識るとおもえるなり、と。子貢は又た孔子の多く学びて識るに非ざるをうたがう。故に更に問い定めて、非なるかと云う。非なるかの与は、不定の辞なり」(然、如此也。子貢答云、賜亦謂孔子多學、故如此多識之也。子貢又嫌孔子非多學而識。故更問定、云非與。非與與、不定之辭也)とある。また『注疏』に「子貢の意以て然りと為すは、是れ夫子多く学びて之を識るなり」(子貢意以爲然、是夫子多學而識之也)とある。また『集注』に「まさに信じてたちまち疑う。蓋し其の学を積むの功至りて、亦た将に得ること有らんとするなり」(方信而忽疑。蓋其積學功至、而亦將有得也)とある。
  • 曰、非也 … 『義疏』に「孔子又た答えて曰く、非なり、と。言うこころは定めて多く学びて之を識るに非ざるなり」(孔子又答曰、非也。言定非多學而識之也)とある。
  • 予一以貫之 … 『集解』の何晏の注に「善に元有り、事に会有り。天下は塗を殊にして帰を同じくし、慮を百にして致を一にす。其の元を知れば則ち衆善おこなわる。故に多く学ぶを待たずして一以て之を知るなり」(善有元、事有會。天下殊塗而同歸、百慮而一致。知其元則衆善舉矣。故不待多學一以知之也)とある。また『義疏』に「貫は、猶お穿のごときなり。既に答えて曰く、非なり、と。故に此れ更に多く学ばずして之を識る所以の由を答うるなり。言うこころは我多く識る所以の者は、我一善の理を以て万事を貫穿かんせんすればなり。而して万事自然に識る可し。故に之を知るを得たり。故に予一以て之を貫くと云うなり」(貫、猶穿也。既答曰、非也。故此更答所以不多學而識之由也。言我所以多識者、我以一善之理貫穿萬事。而萬事自然可識。故得知之。故云、予一以貫之也)とある。また『注疏』に「孔子答えて言う、己の善道は、多く学びて之を識るに非ざるなり。我は但だ一理を用いて以て之を通貫す。其の善に元有り、事に会有り、其の元を知らば則ち衆善おこなわるを以て、故に多く学ぶを待たずして、一以て之を知るなり、と」(孔子答言、己之善道、非多學而識之也。我但用一理以通貫之。以其善有元、事有會、知其元則衆善舉矣、故不待多學、一以知之)とある。また『集注』に「説は第四篇に見ゆ。然れども彼は行を以て言いて、此は知を以て言うなり」(説見第四篇。然彼以行言、而此以知言也)とある。
  • 『集注』に引く謝良佐の注に「聖人の道は大なり。人あまねく観てことごとしるすこと能わず。うべなり、其の以て多く学びて之を識すと為すや。然れども聖人豈に博きに務むる者ならんや。天の衆形に於ける、物物に刻して之を雕するにあらざるが如きなり。故に曰く、予一以て之を貫く、と。徳のかろきこと毛の如し。毛猶お倫有り。上天のこと、声も無く臭無し。至れり」(聖人之道大矣。人不能徧觀而盡識。宜其以爲多學而識之也。然聖人豈務愽者哉。如天之於衆形、匪物物刻而雕之也。故曰、予一以貫之。德輶如毛。毛猶有倫。上天之載、無聲無臭。至矣)とある。
  • 『集注』に引く尹焞の注に「孔子の曾子に於ける、其の問いを待たずして、直ちに之に告ぐるに此を以てす。曾子復た深く之をさとりてと曰う。子貢の若きは則ち先ず其の疑を発して、而して後に之に告ぐ。而して子貢終に亦た曾子の唯の如くなること能わず。二子学ぶ所の浅深、此に於いて見る可し」(孔子之於曾子、不待其問而直告之以此。曾子復深喩之曰唯。若子貢則先發其疑、而後告之。而子貢終亦不能如曾子之唯也。二子所學之淺深、於此可見)とある。
  • 『集注』に「愚按ずるに、夫子の子貢に於ける、屢〻以て之を発すること有りて、他人にあずからざれば、則ち顔曾以下、諸子の学ぶ所の浅深も、又た見る可し」(愚按、夫子之於子貢、屢有以發之、而他人不與焉、則顏曾以下、諸子所學之淺深、又可見矣)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「夫子の学、其の広大を極むること、猶お天地の万物を包含して、有らざる所無きがごときなり。豈に多く学びて之を識す者ならんや。蓋し一は多学と正に相反す。一なれば則ち得、二三なれば則ち失う。一なれば則ち成り、二三なれば則ち敗る。故に学を為す者は、旁蹊に馳せず、多岐を求めず、一にして又た一、いつの地に至れば、則ち五常百行、礼楽文章、合湊がっそう会帰し、外に求むることを須いず。斯れ之を一以て之を貫くと謂う。夫の多く学びて之を識す者と、ただ霄壌しょうじょうのみならず」(夫子之學、極其廣大、猶天地之包含萬物、而無所不有也。豈多學而識之者乎哉。蓋一與多學正相反。一則得、二三則失。一則成、二三則敗。故爲學者、不馳旁蹊、不求多岐、一而又一、至於至一之地焉、則五常百行、禮樂文章、合湊會歸、不須外求。斯之謂一以貫之。與夫多學而識之者、不啻霄壤矣)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「宋儒おもえらく孔子一貫を告ぐるに、曾子にはこうを以てし、子貢には知を以てすと。非なり。古えの学は、皆之を教うるに事を以てして、其の理を言わず。学者の之を自得せんことを欲すればなり。事に習いて自ら之を知るは、曾子・子貢いつなり。知・行を分かつ者は、宋儒の家学のみ。又た一貫を以て孔門伝授の心法と為す者は、浮屠ふとの華を拈じてしょうすという者に傚顰こうひんするのみ。又た唯だ二子のみ聞くを得て、にんあずからずと謂う。豈に其れ然らんや。蓋し孔子は一以て之を貫くと言いて、一の何たるかを謂わず。言を以て明らかにし難ければなり。故に六芸りくげいに通ずる者に非ずんば、則ち固よりの言をあずかり聞く可からず。然れども吾れ隠すこと無きのみの如きも、亦た此の意なり。豈に後世以て大小の大事と為すが如くならんや。又た然り、非なるかを以てまさに信じて忽ち疑うと為すが如きも、亦たあやまれり。升庵曰く、子貢は知らざるに非ざるなり。蓋し辞譲してこたう。師に事うるの礼なり。いく、文王・武王・成王に対うるも、皆、疑わしと曰う。豈にまさして亦た疑わんや。君に対うるの体なり。大史公曰く、唯唯いい否否、と。蓋し古えの友に対うるも亦た此くの如し。亦た以て証す可し、と」(宋儒謂孔子告一貫、曾子以行、子貢以知。非也。古之學、皆教之以事、而不言其理。欲學者之自得之也。習於事而自知之、曾子子貢一也。分知行者、宋儒家學耳。又以一貫爲孔門傳授心法者、傚顰浮屠拈華微笑者已。又謂唯二子得聞、而它人不與焉。豈其然。蓋孔子言一以貫之、而不謂一爲何矣。難以言明也。故非通六藝者、則固不可與聞是言。然如吾無隱乎爾、亦此意也。豈如後世以爲大小大事哉。又如以然非與爲方信而忽疑、亦謬矣。升庵曰、子貢非不知也。蓋辭讓而對。事師之禮也。鬻子對文王武王成王、皆曰唯疑。豈方唯而亦疑乎。對君之體也。大史公曰、唯唯否否。蓋古之對友亦如此。亦可以證矣)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十