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衛霊公第十五 27 子曰衆惡之章

406(15-27)
子曰、衆惡之必察焉、衆好之必察焉。
いわく、しゅうこれにくむもかならさっし、しゅうこれこのむもかならさっす。
現代語訳
  • 先生 ――「みんながわるいといっても、とにかくしらべてみる。みんながよいといっても、とにかくしらべてみる。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「人でも物でも事でも、衆人のにくむところ、衆人の好むところには十分重きをおかねばならぬが、しかし衆人のすききらいは必ずしも公平適正ではないから、上に立つ人は、衆人がにくんでも必ずその真相をさぐり、衆人が好んでも必ずその実情を察し、その上でにくむべきか好むべきかを判断せねばならぬ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「多数の人が悪いといっても、必ず自分でその真相をしらべてみるがいい。多数の人がいいといっても、必ず自分でその真相をしらべてみるがいい」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 衆 … 多数の人。
  • 悪 … 悪く言う。
  • 察 … 自分で調べ直す。
  • 焉 … 断定の気持ちを示す助字。訓読しない。
  • 好 … 「よみするも」とも読む。ほめる。よいと言う。
補説
  • 『注疏』に「此の章は人を知るの事を論ずるなり」(此章論知人之事也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 衆悪之必察焉 … 『義疏』に「し一人有りて、衆の憎悪する所と為る者は、必ず当に其の徳を察すべくして、衆に従いて雷同して之を悪む可からざるなり。然る所以の者は、此の人或いはひとり立ちて群せず、衆佞の共に陥害する所と為る。故に必ず之を察するなり」(設有一人、爲衆所憎惡者、必當察其德、不可從衆雷同而惡之也。所以然者、此人或特立不羣、爲衆佞共所陷害。故必察之也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「夫れ人を知るは未だ易からず。設し一人有りて、衆の悪む所と為るも、即ち従い雷同して之を悪む可からず。或いは其の人ひとり立ちて群せず、故に必ず察す」(夫知人未易。設有一人、爲衆所惡、不可即從雷同而惡之。或其人特立不羣、故必察焉)とある。
  • 衆好之必察焉 … 『集解』に引く王粛の注に「或いは衆とう比周し、或いは其の人ひとり立ちて群せず。故に好悪は察せざる可からざるなり」(或衆阿黨比周、或其人特立不羣。故好惡不可不察也)とある。阿党は、他人の機嫌をとって仲間になること。比周は、かたよってくみすること。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「又た設し一人有りて、衆の好愛する所と為る者、亦た当に必ず察すべくして、衆に随いて之を崇重す可からざるなり。然る所以の者は、或いは此の人悪を行い、群悪の党愛する所と為る。故に亦た必ず察するなり。衛瓘云う、賢人は俗と争わざれば、則ち好愛せざること莫きなり。俗人は時と好みを同じくす。亦た則ち好むを見るなり。凶邪善を害すれば、則ち之を悪まざるは莫し。行い高く志遠くして、俗と違忤いごすれば、俗も亦た之を悪む。皆察せざる可からざるなり、と」(又設有一人、爲衆所好愛者、亦當必察、不可隨衆而崇重之也。所以然者、或此人行惡、爲羣惡之所黨愛。故亦必察也。衞瓘云、賢人不與俗爭、則莫不好愛也。俗人與時同好。亦則見好也。凶邪害善、則莫不惡之。行高志遠、與俗違忤、俗亦惡之。皆不可不察也)とある。違忤は、さからうこと。また『注疏』に「又たし一人有りて、衆の好む所と為るも、亦た即ち衆に従いて之を好む可からず。或いは此の人悪を行うも、衆は乃ち阿党比周す、故に察せざる可からず」(又設有一人、爲衆所好、亦不可即從衆而好之。或此人行惡、衆乃阿黨比周、故不可不察)とある。
  • 『集注』に引く楊時の注に「惟だ仁者のみ能く人を好悪す。衆之を好悪して察せざれば、則ち或いは私に蔽わる」(惟仁者能好惡人。衆好惡之而不察、則或蔽於私矣)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「衆の好悪公なりと雖も、然れども雷同の説無きこと能わず。而して是非の実は、衆人の能く識る所に非ず。其の事善にして或いは悪を以て之を目し、其の事悪にして或いは善を以て之を称す。特行の士は、衆人必ず忌み、郷原の行は、流俗の悦ぶ所なり。故に聖人は衆に随いて好悪せず、必ず其の実を察す」(衆好惡雖公、然不能無雷同之説。而是非之實、非衆人之所能識。其事善而或以惡目之、其事惡而或以善稱之。特行之士、衆人必忌、郷原之行、流俗所悦。故聖人不隨衆而好惡、必察其實焉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「民のよみする所は之をよみし、民のにくむ所は之を悪むは、仁なり。衆之を悪むをも必ず察し、衆之をよみするをも必ず察するは、知なり。聖人の言は、いつを執りて百を廃せず」(民之所好好之、民之所惡惡之、仁也。衆惡之必察焉、衆好之必察焉、知也。聖人之言、不執一而廢百)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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